秋の夜長

9月23日

まさにタイトル通り。
こんな日の朝は毎年思い出すことがある。
それは22年前の私が25歳の夏、長野県南アルプスの千丈ヶ岳という3,033mの山の2,630m辺りにある「馬の背ヒュッテ」という山小屋で夏季限定でアルバイトをしていた時のこと。

アルバイト内容はいたって簡単。宿泊客の受付や食事、寝床、掃除諸々。
当時、職場のインターネットで求人をみて履歴書のみで採用された。
採用された理由は筆跡だったことを後で知る。
ただ、スタッフも雑魚寝で後は風呂が無いのでそこは体を拭いたり、近くの沢で体を洗ったり各々適当に不便と感じれば不便。

夏休み2,3か月の短期ということもあってアルバイトスタッフのほとんどが学生。しかも海外に留学していた子やバックパッカーで世界を旅しているアクティブな方、フリーターは私を含む2人くらいでその他、60代のオーナーで山小屋の運営を行う。

最初は主に登山客の接客業務がメインであったが徐々に調理場での登山客の夕食であるカレー作り、その他、自分たちの賄を作ることに興味が出始めて最終的にはキッチンの方も手伝うようになった。

前述していた「思い出す」ことというのは私は昔から朝は強い方であったため、何時だったか詳しくは覚えていないが日の出る前だったから夏場は5時前かな。山小屋の設置している発電機を作動させる仕事を担っていた。
夏場でもこれだけ標高が高いと早朝の外はひんやりしていてその感覚が頭と体にしっかり記憶されていて今日みたいな急に涼しくなると当時の感覚と繋がる。

雲海からの日の出や、山頂からは富士山の頭の部分が真横に見えたり、沢での水浴び後に私も自然体で!とか言って裸のまま山の中を歩き回ってみたり。
もちろん誰も居ないの確認済みで。
何も便利なものが無い中、あんなに楽しかったのは一緒に働いたスタッフとオーナーのおかげ。

オーナーは確か父親と同じ年でそれだけでも親近感あったが茶目っ気たっぷりで特別かわいがってもらった。
一度しか山小屋で働いていないにも関わらず、毎年奥様と年賀状のやり取りは続いててここ数年前にオーナーが亡くなり、その後奥様も肺がんで療養されていると伺うまではずっと連絡を取っていた。

亡くなったと知らせを受けた時に香典を送ったのもあってか初めて奥様からお礼の電話がかかってきた。
その時にオーナーの思い出話と共に、奥様の方から本当に私のことを気に入ってくれていた様でお葬式の時に私とツーショットの写真もスライドで流したと伺った。

一度っきりのそれもたった2ヶ月間の思い出を20年以上想い続けていていただいていたことに涙が止まらなかった。

今朝はこんなことを思い出しながら秋分の日を迎えた。


                  https://umanose.com/
                    馬の背ヒュッテ

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